「芦屋っぽい風景」カテゴリーアーカイブ

マンションや番地以外の風景、自然などで「芦屋っぽい」風景の投稿です。

目次 | 芦屋さくら百景

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仲ノ池バス停前の桜
sakura of Nakaikemae busstop

ここは岩園町にある仲ノ池です。
地域の方に水辺の憩いを与えていますね。
池の周囲には野鳥観察の小屋や藤棚の下のベンチがありくつろげます。

この写真は「仲池前」バス停前の岩田酒店さんの方から桜を撮ったものです。

春にはうぐいすの声も聞かれます。
またときどき珍しくカワセミを見かけたことがありました。

芦屋市内で咲く桜の樹を100本以上デジカメやスマホで撮影して、アップしています。

山手のお屋敷から商店街、路地裏またマンションの前景などで自己主張されていました。

マンションのある町内に桜の花や子どもの声があるのが地域の魅力ですよね。

以下は目次ですが、なぜか1番目から32番目があるのですが表示されていませんね。

また直せるように勉強しますね。

 


 

芦屋川風景 | 月若町

芦屋川風景 | 月若町

芦屋川右岸の芦屋川駅バス停留所付近からみた、芦屋っぽい風景です。

春にはお花見、夏には水遊びの親子連れ、

秋には紅葉した桜樹の下を犬を散歩させている光景、

冬には葦原もなくなって清か水が流れる風景が見れますね。

 

写真では風見鶏のビルが見えます。

芦屋川の両岸にはおしゃれなレストランやケーキ屋さんがあります。

もう少し阪神芦屋駅方向に下れば、ハイカラな教会の尖塔も見えます。

セーヌ川河畔みたいといったらいいすぎ?

ですよね、船も浮かんでいないし・・ノートルダム寺院もないし・・

 

六麓荘について | 六麓荘町

六麓荘|芦屋っぽい風景

 

1.六麓荘の概要

 

六麓荘町には中古マンションはありませんよ。

 

阪神間の中央部芦屋市街地の北東部にあって、

 

東側は西宮市苦楽園と接している。

 

六甲山麓の標高75~210メートルの丘陵地の南斜面にあります。

 

南北に1.1Km、東西400mの土地で概数で250戸、人口600人でなります。

 

六麓荘町には、富裕層?の子弟が多い学校法人芦屋学園があります。

 

また同じく甲南学園中高校も近くにあります。

 

2.町の設立

 

六麓荘緑地の門
六麓荘緑地の門

 

1928年(昭和3年)株式会社六麓荘が国有林10万坪の払い下げを得て、

 

197区画の宅地開発に乗り出した。

 

当時大阪の居住環境の悪さから、

 

阪神や阪急の郊外への沿線開発などもあって、

 

昭和6年ごろから「東洋一の健康地」として売り出されました。

 

 

3)建築協定と地区計画

 

当初の主体は株式会社六麓荘でしたが、

 

戦後できた町内会が参加し町独自の景観保全の仕組みを運営してきた。

 

具体的には町内会規約でもある「建築協定」の1985年(昭和60年)の制定であった。

 

建物の敷地や構造、用途などを規制して良好な住環境を維持させるものだった。

 

つぎに阪神・淡路大震災後、全壊家屋が31棟の被害が出た。

 

更地化から相続問題での乱開発が懸念され、危機感をいだいて芦屋市と法的拘束のある、

 

まちづくり協議会が主体になって2006年「地区計画」が決定された。

 

 

 

4)町並み

 

Googleストリートビューで見る(日の出橋付近から)

 

設立時に出土した多くの花崗岩が宅地造成や石垣に使われて、

 

石垣の上にはアカマツが植栽されたり、

 

住宅地の景観が決定付けられてきた。

 

さらい花崗岩は石橋や庭石に活用され、

 

後背地の剣谷から湧出するドンドン川との一体庭園化を目指した。

 

現在では阪神間の最高級住宅地としての評判を得ている、

 

一方ではやれ町内会費が年50万だとか、400坪以上の敷地でないとだめとか、

 

これは事実ですが、都市伝説っぽい風評ややっかみがあるようですね。

六麓荘町の萩の花
六麓荘町の萩の花、大きな石垣で咲き誇っていました。

 

余談ですが、芦屋に在住した身の白州次郎氏や在原の業平などは、

 

もっと今の阪急電車より南側の海に近い土地に住んでいた、

 

当時のエスタブリッシュメントやセレブリティの時代とは少し羽振りが違いますね。

 

昔から、天皇家や貴族、またGHQなどの指導者層が

 

別荘や遊び場としていち早く押さえた土地は、

 

やはり風光明媚で水の美味しい良い場所ですね、今でも。

 

 

 

 

 

 

 

※参考:芦屋学研究会編「芦屋の風」2014.1創刊号「六麓荘の形成と変遷」から

芦屋モダニズム|芦屋っぽい風景

芦屋モダニズム|芦屋っぽい風景

 

芦屋っぽい風景があるのか、無いのかのベースには
大正年間から流れる「芦屋モダニズム」(阪神モダニズムとも言われるのかも)があります。

 

芦屋に流れていた「芦屋モダニズム」について、
参考書籍が芦屋市立図書館にあったので閲覧し感じたところを投稿してみました。

 

「芦屋の文化村」

大正年間、あの小林一三翁が開発した宝塚劇場や
阪急電車沿線と阪神電車沿線が競うように、

 

当時神戸市に属した深江村から芦屋にかけて
多くの富裕層が別荘や住宅をつくり移住してきました。

 

建築家吉村清太郎が設計した、「芦屋文化村」
緑の芝生に囲まれた洋館建ての貸別荘群でした。

 

ここにはロシヤ革命から亡命してきた
音楽家や芸術家が集まってきたのです。

 

当時著名なアレクサンダー・ルーチンなどの門下生が集まって
西洋音楽が伝わる国際交流の場となったようです。

 

ヴァイオリニストのモギレフスキーや芦屋出身の
有名ヴァイオリニスト貴志康一(きし・こういち)の師であったウェクスラー。

 

ピアニスト、神戸女学院音楽部教授のフチェフ、声楽家のカラスロヴァ、
また日本初のオーケストラであった宝塚交響楽団の指揮者ヨセフ・ラスカなどが、
外国人向けの「芦屋文化ハウス」に集まりました。

 

ずいぶん重みがあるんですね、軽井沢や田園調布と並びますね、どうでしょう? 😛

 

また音楽以外の文化面でも大勢の文化人を育ててきたようです。

 

芦屋では文豪では細雪の谷崎潤一郎、作家富田砕花、洋画家小出楢重、歌人高濱虚子、登山家藤木九三などの文化人たちが住むことによって、

 

瀟洒な洋館、風光明媚な街、富裕層の多い街に文化の華が開いたのです。

 

個人所有の動物園もあったそうです。

 

これの流れや影響もあって、富裕層が暮らす六麓荘町や涼風町のベルポート芦屋のプライベートマリーナなどの町並みが整備されてきたのでしょう。

 

また阪神間でも同じような潮流で、神戸なら六甲山や

 

西宮市なら遊園地香枦園甲子園球場阪神パーク宝塚市なら宝塚劇場などが文化や歓楽、スポーツなど相互にモダニズムが勃興したのでしょうね。

 

※参考:「業平と芦屋100浪漫」から

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秋祭りのだんじり風景|芦屋っぽい風景

芦屋にもだんじりがあるんです。

 

10月の秋祭りに5台の山車が繰り出すようです。

 

写真は西乃町地区(阪急芦屋川駅北周辺)の山車です。
他には山乃町地区(山芦屋会館)、三条地区(三条八幡神社)、打出地区(打出天神社)

 

そして精道地区(山車小屋)があります。

 

秋祭り会場は精道小学校で行われています。

 

秋祭り2