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西国橋|芦屋の伝説

659-0028-1 西国橋|芦屋の伝説

西国橋ここ打出小槌町にあり、宮川に架かった小さなこの「西国橋」が京の都と芦屋を結んだ西国街道なのです。

山陽道とも呼ばれて、九州の大宰府と京を繋いだ国道でした。

西宮から打出小槌町で付近で本街道と浜街道に分かれます。

ここ打出小槌町でには昔一本松の老木があって、参勤交代の行列もここで一服したそうです。

いまも宮川の西国たもとには地蔵堂がのこり、黒いのら猫がのんびりとうたたねをしています。

この近くにはガーデニングの二楽園やロイヤルホストがあります。

昔大きな市場もこの二楽園あたりにあったそうです。

 

※参考「業平と芦屋100浪漫」

 

 

刻印石|芦屋の伝説

659-0027-1 刻印石|芦屋の伝説

宮川べり、若宮町と宮川の道路沿いにある小さなスペースに「若宮街かどひろば」の標識があります。

この石垣を形成している大きな岩石が刻印石です。

江戸時代の初め、徳川氏が造り替えた大阪城の石垣用に、

芦屋の裏山である六甲山系の花崗岩を切り出して、

宮川の河口から大阪湾に輸送した往時の遺物ですね。

岩石の刻印には福井藩の松平家紋、萩藩の毛利家家紋など各種あります。

当時は城山岩ヶ平方面から切り出されたとされています。

 

そうそう城山というのは、ここには芦屋唯一の城である鷹尾城のことです。

戦国時代、細川隆邦の軍と細川澄元軍が芦屋川や鷹尾城で激しく争っていました。

高国側の瓦林政頼は鷹尾城に立てこもっていた。

そこへ澄元軍の河島兵庫助が16歳の息子・松若丸を連れて投降し、髙国側が勝利。

褒美で父は鷹尾城、息子の松若は西宮の越水城で政頼に仕えていたそうです。

その後父は裏切りの汚名で自害し、それを聞いて駆けつけた松若丸も捕らえられ、

西宮の六湛寺(ろくたんじ)で惜しまれながら自害させられたのです。

辞世が「父に我 つかふ願も 三瀬川 ともに越ゆべき 道のうれしさ」。

松若は聡明で歌も良くしたと伝えられています。

岩ヶ平や越水、六湛寺など西宮市の現在の地名が出てくるんですね。

 

※参考「業平と芦屋川や100浪漫」

 

これらの石は良くクラシックなマンションの石垣などにもつかわれていますね。

 

芦屋では2号線沿いの春日町のマンションの南側部分がそんなのに近い大石で構えを守っています。それではないでしょうか。

 

ところが最高級なマンションでも最近は薄っぺらなタイル貼りが多いですよね、残念。

 

 

 

 

 

 

 

大楠公戦跡碑|芦屋の伝説

659-0015-14 大楠公戦跡碑|芦屋の伝説

 

(H28年1月現在ですが、芦屋市で楠木公園は全面工事中であります。)

国道2号線沿いの北側にある洋伸楠町マンションの西隣にある大楠公戦跡碑です。

石碑と大きな鳥居があります。

昭和11年5月に建立とありますから、戦時中の国威発揚の風潮の中でもあって、

当時の地元の力でできあがったとのことですね。

楠木正成(まさしげ)の由緒のある場所はJR神戸駅の北側の湊川神社

JR水無瀬駅前にある桜井の跡、子正行(まさつら)と青葉の別れの場所ですね。

唱歌でも知られていますね。

青葉茂れる桜井の里のわたりの夕まぐれ

木(こ)の下陰(したかげ)に駒とめて

世の行く末をつくづくと忍ぶ鎧(よろい)の袖(そで)の上(え)に

散るは涙かはた露か

正成(まさしげ)涙を打ち払い我子(わがこ)正行(まさつら)呼び寄せて

父は兵庫へ赴かん彼方(かなた)の浦にて討死せん

 

ここ芦屋楠町打出は1336年の「打出合戦の跡」で、楠木正成の後醍醐天皇方が、

逆賊とされた足利尊氏軍を迎え撃って、撃破し九州へ追いやった戦いの場所だったのですね。

このあたりにはマックや六甲味噌やBMWがあります。国道沿いにマンションが続く中で、

一服できる場所ですね。

 

いよっ! 昭和の原風景

写真は2号線側から撮った正面の風景です。

※参考 「業平と芦屋100浪漫」

 

 

六甲山頂

六甲山は芦屋にあるってホンマでっか

六甲山って神戸市の中心地であるJR三宮や、阪急六甲の北側の山ではないかと思われますね。

でも芦屋市内からも見える背山の奥のアンテナがたくさんある山ですよね、ごろごろ岳の奥の・・

六甲山の夜景は百万ドルとかいいますが、あれは芦屋ではなく神戸市側ですよね。

ほんとうですか? 芦屋なん?

ちがいます! 六甲山頂は芦屋市でなく、すぐとなりの東灘区本山町森にあります。

一般に「六甲山」は大小の山を含む六甲山系全域を指し、最高峰は特に六甲最高峰と称される。」(wiki)とあります。早とちりでした。

残念でした。

参考に、このあたりの詳細が国土交通省 近畿地方整備局 六甲砂防事務所のページにありますので、

「芦屋川物語」を紹介いたします。

 

※参考:国土交通省 近畿地方整備局 六甲砂防事務所ホームページから