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WATER BEETLESと富山湾横断プロジェクト
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2日前の7月8日(日)に富山湾横断プロジェクトが決行された。 富山湾の海流は、北上する対馬海流が能登半島に沿い富山湾に流れこむので、湾外洋部は東から西へ流れ、湾内沿岸部は西から東へ流れる複雑な構造を持っている。 このプロジェクトの詳細な情報は「The Club of Water Beetles: 富山市岩瀬入船町82番地 コモン天下堂内 〒931−8302 076-438-7117 Fax 076-437-9870」に問合わせて頂きたい。 予定された決行日は、7月1日(日)であったが、天候の関係から翌週の7月8日(日)に延期された。 富山湾横断の件、覚えていてくださってありがとうございます。 私の腹積もりでは明日は、見送ろうと思っています。 正式名称は、富山湾横断プロジェクトといいます。 ということで、7月8日(日)に延期され実行されたこのプロジェクトの状況は、以下のメールと添付された写真により伺い知ることができる。 7月8日午前4時25分に氷見大境を漕ぎ出し、条件が絶好で、予定より30分早く 午前10時55分に黒部川河口左岸、荒俣へ着きました。 この日の日の出は午前4時38分だったと思います。 未明の空あかりを映して、昨夜来の大きなうねりが残る大境を漕ぎ出して間もなく、コンパスが指し示す90°〜95°方向、まさにすすむべき方向の水平線の下が小さく四角い茜色に染まり、なんだろうと思いながら漕いでいると、間もなく靄の上に真っ赤な、これが日本といわんばかりの太陽が現れました。 その太陽から延びる光の帯が、これが君達の行くべき道だよと指し示している様に思えました。 それぞれが自分のカヤックだけに与えられた光の帯を音もなく漕ぎすすんでいきました。
漕いでいる道は別々であっても、それはひとつの太陽に向って・・・ 生憎なのか、運がよかったのか、この日は陸に靄がかかり、対岸の町の夜の名残の灯りも、立山連峰の姿も見えず見えるのは太陽だけ。 午前七時半の頃、湾の真ん中では 四方は全く水平線だけになりました。 途中伏木海上保安部の巡視艇が白波を切って走って来て、私たちを視認し速度を落し停泊しスピーカーで「ご苦労様です。異常ありませんか。順調にいっていますか。
それでは無事の航海をお祈りします。ボンボヤージュ」とまた白波を立ててターンして帰っていきました。
残り八キロほどでようやくゴールの陸地が見え始め、YKKの工場やクレーンのアームが見え、白濁した黒部川の流水が見え始めると嬉しさよりも寂しさの方が大きかったように思います。 正直に言って、疲れてはいたけれど「もう着いてしまったのか」という呆気無さにどっと疲れて、後はユーラユーラとパドリングしてしまいました。 着岸は私が一番最後、海岸線は波が打ち寄せていて、私には平気だったのですが、応援の人や見物人達が、大声であっちへ回れ、こっちだこっちだとか、波の切れ間を見て「いまだ!いまいま!漕いで漕いで漕いで」とか叫ぶし、テレビカメラは回っているだろうし、なんだかカッコ悪くって、自分だけで横波にブレージングしながら綺麗に着岸したかったのに、岸に近づいたら、ズボンの裾を捲り上げたおじさん達が波の中に飛んできて、無理やり艇を引っ張り上げてしまいました。 陸へ上がり、皆も疲れきっていましたが、顔は輝き握手をし合っていました。 話しは変わるが、私の父は、神戸海技専門学校を卒業した、まさにシーマンであった。 彼の足には、グラマンの機銃掃射で受けた傷が残っていて、私が小さい頃よく戦争の模様を語ってくれた。 (つづく) |
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