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ヒューレット・エステートと"Death Ride 2001"
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4年ぶりの"Death Ride"であった。 レイクタホのほとりにあるヒューレット・エステートに到着したのは、米国時間の7月13日(金)14時であった。
4年前と同じように日本HP社の高橋圭三さんがサニーサイド通りまで出迎えに来てくれていた。 旅行の全行程は以下のとおりである。 7/11(水):成田(16:00発)〜サンフランシスコ(7/11 9:00着) 7/12(木):マウンテンビューからモントレーへ 7/13(金):サクラメントからレイクタホへ 7/14(土):Death Ride 2001 7/15(日):早朝にロッジの清掃 7/16(月):サンフランシスコ(12:00発)〜成田(7/17 14:30着) 注)この旅行の詳細情報については、以下のURL(K君のWebサイト)がお勧め! 7月13日から2泊したヒューレット・エステートは、4年前とほとんど変わっていなかった。 我々が宿泊したロッジの裏側のテラスからは、レイクタホとそれを取り巻く山々が見える一番よい場所であった。 ヒューレット・パッカードの創始者の一人であるウィリアム・ヒューレットさんが亡くなったのは、今年の1月とのこと。 あの有名なガレージから生まれた世界第二位のコンピュータメーカであるヒューレット・パッカード社は、基本的にはエンジニアリング魂が社風となっていることから、このような飾らない、そして人の上下関係を意識させない良い意味での「風」のようなものが脈々と流れているのだろう、と私は思う。 そういえば、私が1989年から勤務したDEC社も創業者のケン・オールセンがクリスマスには社員と同じ列に並んで七面鳥の配給を受け取ったり、従業員用の駐車場には社長専用の場所がなく、早くきた人から車を止めるため、彼が一般社員と一緒に駐車場を歩いて出社するという社風があり、DEC社はその「風」を大事にしていたものだ。 ヒューレット・エステートがあるサニーサイド通りの名のごとく、このロッジのテラスから見るレイクタホの日の出には目を見張るものがあった。 7/14(土)は、3:00に起床、各自身繕いを整えながら簡単な朝食を取り、4:00にロッジを出発。 全コースの要所要所には、村人達(ボランティア)による飲み物、スナック、果物のサービスを提供するテントと仮設トイレが用意されている。 今年のDeath Ride 2001は、100名近いHP社のチームの1/3が5つの目の山頂を制覇完走した。 私の好きな「アメリカの多様性」と「ボランティア精神」が凝縮された一つのプロジェクトといえる。
(つづく) |
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