2月12日(土)、叔父(白口泰弘)逝去、黙祷。
2月14日(月)は、大宮から越後湯沢経由にて富山県高岡に向かう。
越後湯沢駅のプラットフォームの屋根には2m近い雪が積もっていた。
途中の六日町などは、雪の量が目立たない。
それは、きれいに除雪された道路が見えていて、車が頻繁に行き来しているためなのだろう。
越後湯沢からの特急「はくたか8号」の後部3両は金沢で切り離され、少し戻って津幡駅から能登線に入り、和倉温泉まで行くとのことだ。
また、土・日曜日は前部の6両は金沢の先、加賀温泉まで行くそうで、便利な世の中(というよりはJRの顧客サービスも本格的)になったものだ。
お勧めは「北陸とくとく切符」、21,000円である。
これさえあれば、富山からの支線である「富山港線」や、「高山線」であのおわら風の盆で有名な「八尾町」にもいける。
(見聞録2002年9月1日)
私の実家がある高岡からの支線である「氷見線」や「城端線」、前述した津幡からの「能登線」が乗り放題となるので、列車で旅を楽しむ人たちには人気があるのだろう。
途中の直江津(最近読んだ藤沢周平の小説"密謀"に登場する直江兼続の里)付近の田圃は30−40cmというところ、それほど豪雪という感はなく、うす雲の間から青空も見える。
川越の自宅を出るときは急いでいて天気予報もみてこなかったが、叔父の葬儀は別として、今回
の旅にはヒトの営みとはかけ離れた、思わぬ幸運が待ち受けているかも知れない。
糸魚川近くになると快晴に近い状態で、親不知付近での車窓からの日本海も明るいブルー、なんと美しい海なのだろう。
裏立山(富山県人からすれば)の稜線もすばらしい眺めである。
皆さん南からの直射日光を避けるためにカーテンを引いてしまうが、もったいない。
北陸では、1月、2月の2ヶ月で、このような天気は7−8日しかないのである。
叔父のお通夜に出席した翌日は、富山に抜け、駅前から国道41号線に沿って千石町まで歩いてみた。
千石町のパーティハウスでは、重松さん夫婦がちょうど在宅だったので、二階に上がり、3人目のお孫さんが生まれること、旦那(当見聞録ではこれまでK氏として登場頂いた)が60歳になったらBMWのバイクでナホトカからシベリア鉄道沿線を西に走りヘルシンキまでを走破するんだ、との計画(夢)をお聞きした。
蕎麦屋で昼食をご馳走になった後、「今日の立山は最高だから常願寺側沿いの土手までドライブしよう」とのK 氏の提案というよりは、つぶやきで大泉から立山町方面に向かう。
車の真正面に表立山が、どんどん近づいてくる。
ほんの10分も走った常願時橋の袂を左折して土手沿いの道を数キロ走ると市街地のビルもなく、高圧線の鉄塔もない正真正銘の立山連峰が目の前にある。
三人が無言で車を降り、数分言葉を失って立ち尽くす。
真冬でしかみれない透明な青い空の下、田畑一面が雪に覆われ、所々に点在した民家と木々が見え隠れする平野部の真上から立山連峰が無言で我々を見下ろしていた。
右の写真は富山市在住のOsamu Kondo氏のHPにある「立山連峰の剱岳」の写真である。
近藤さんとは電子メールとお電話で一度お話をしただけの方だが、立山連峰の主峰は雄山〜大汝山〜別山であり、この写真の剱岳を入れて、「剱・立山」というふうに並べて呼ぶことが多い、とのアドバイスを頂いた。
読者の方々もご存知だと思うが、立山とは連峰の総称で、立山という山はない。
参考URL
立山連峰のパノラマ写真(Osamu Kondo さん提供)
https://www.asahi-net.or.jp/~mk7o-kndu/tateyama/p.html
氷見市ライブカメラ
https://www.city.himi.toyama.jp/live_cam/live_cam02.htm
おわら風の盆
https://www.town.yatsuo.toyama.jp/YATSUO/KANKOU/OWARA/
(つづく)
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