JR渋谷駅の切符売り場付近と山手線ホームに上がる階段に展開された数枚のポスターが気にかかり撮影にきた。「KEEP
WALKING」をキャッチ・コピーにしたジョニーウォーカのポスター広告である。
北野たけしが起用されていて、カラーのボタンを一個あけた白いワイシャツに黒のスーツを無造作にはおった"一人の男が歩いている"がテーマ、のようだ。
そういえば、最近、富山の銀盤(日本酒)からジョニ黒に切り替えたところだ。
どういう訳か、秋の終わりから春までが日本酒、初夏の空気が感じられる5月の連休頃から、にわかにウィスキーが飲みたくなる。こちらの心理を汲み取った"的を得た広告"に感心するとともに、歩き続ける男をテーマとした「憎い」、「ニヒル」な"計算された"演出に苦笑いを催してしまう。
私は、北野たけし=バサラ、というイメージを持っている。うまく表現できないが、東京(浅草)発の"お笑い"、日本映画の固定観念を「打ち壊してきた男」というイメージである。
バサラといえば、会田雄二「よみがえれバサラの精神」や塩野七生「おとこ達」を連想しがちであるが、北方謙三「道誉なり(上、下)」の主人公"佐々木道誉"にも、そのバサラの生き様を見ることができる。14世紀、南北朝から室町時代に征夷大将軍となった足利尊氏と院政政治を司る後醍醐帝との確執(暗闘)が続くなか、京都に一番近い要所、近江の国主であった「ばさら大名」佐々木道誉の物語である。足利尊氏の天下獲りを支え、しかし決して同心を口にしなかった一人の武士をテーマにした歴史時代小説である。
雑訴決断所の要職に就いた道誉は、明らかに却下しなければならない訴えに裁可を与えようとしている二人の公家を、鞘に収めたままの太刀で打ち、公家の烏帽子を叩き落として、背を踏みつけた。
人の輪から踏み出してきた足利家の執事、高師直(こうのもろなお)が「御親政の根を食い荒らすとな、佐々木殿。それは由々しきことだが、なにか証拠でもあるのか?」と問う場面を以下に紹介する。
「この二人は、却下されるべき訴えを通すために、布五反ずつを受け取った。五反の布と、贈った者をいまここに連れてくる」
昨夜から、蜂助に命じてあった。
道誉の弟、貞満が、その武士をひっ立ててきた。申し述べたことも、詳しく書きとっているはずだ。
「訴状はここにある。却下せずに裁可を与えることがどれほど笑止の沙汰か、読めば童でもわかる。まこと、決断所の公家はくさりきっておるのか。それとも、腐りきっているのはこの二人だけか」
人の輪は、しんとしていた。道誉に踏みつけられた公家が、うめきながらうめく呻きながら涙を流している。道誉は、足をどけた。なにか喚こうとした公家に、鞘ごと太刀を突きつける。
「まずこの訴状が裁可すべきものかどうか、ここで読みあげようではないか」
道誉が言うと、公家は息を呑んだ。
「痩せても枯れてもこの佐々木道誉、道理を曲げてまで生きようとは思わぬ。さあ、読んでみよ。この道誉に道理なくば、この場で腹を切って果てて見せよう。この道誉に道理あれば、虫けらの素っ首を叩き落とす」
「佐々木殿、待たれよ」
「高師直殿。こういう不正を許すのは、主上の御心か、それとも尊氏殿の意思か」
「お鎮まりあれ、佐々木殿。ここはすべて、高師直が預り申す」
「ほう、足利家の執事の名にかけて、正邪を裁くと言われるのだな」
高師直が、苦笑した。道誉の芝居には気づいているようだ。この二日後、御所に呼ばれた道誉は、尊氏、楠木正成や千種忠顕などが居並ぶ殿上人の前で、後醍醐帝から以下のような言葉をかけられる。
「久しいの、佐々木道誉」
帝の声だった。
「はっ」
「武士の中では、そこもとには不思議な縁がある。橋渡しの警固を、二度もつとめた。隠岐へむかう時も、道誉が警固であったな」
「恐れいります」
「鞘ごとの太刀で打って、足で踏みつけたか。ばさらのふうは、失っておらぬ。小気味よいことぞ」
道誉は、平伏したままだった。帝はかすかに笑い声をあげたようだった。この後、謹慎を命じられて、御所を退出するた道誉が、足利家の家人から声をかけられる場面が展開する。
「主が、一献酌み交わしたい、と申しております」
足利の家人だった。
「道誉は謹慎の身なれば」
「謹慎などを、気にされるお方ではない、と主は申しておりました」
「気にはしているが、足利殿のお招きとあれば」
この小説のテーマは「バサラ」である。それは、単なる野蛮な行為ではなく"計算された"思考を持って、既成の不合理を壊す行為なのだ、と北方謙三は教えてくれている。
我々は、どの時代に暮らそうと、それまで当たり前であった「既成の何か」を壊しながら、次の世代にバトンタッチしていかなくてはならない「宿命のようなもの」を背負って生きている。それが"進化"なのだろうか。