■ 2001年2月16日(金)

ハリーの蘇生と「やまもときょうこ」のサルサ


Quote…Unquote: If I miss one day's practice, I notice it. If I miss two days, the critics it. If I miss three days, the audience notices it. - Ignace Paderewski (Polish concert pianist and patriot, 1860-1941

 

「きりっ」とした寒い日が続く。

今年の冬は本当に"冬らしい冬"である。

寒い冬が嫌いな方々には申し訳ないが、冬はそれらしく寒く、反対に夏は「かっと」暑いのが私は好きだ。

この冬も、ハスキー犬のハリーとラブラドールのルナが住む犬小屋には、毛布を入れてあった。

2月11日(日)の早朝は特に冷え込んだ。

いつもは、ほとんど気にかけないのだが、何故かリビングのカーテンを押しやり、暗がりに目を凝らしながら犬小屋を覗いた私は、ハリーとルナがそこにいないのに気づいた。

慌てて、リビングのドアを空けると、犬小屋の外で横たわったハリーを心配そうに見守るルナがそこにいるではないか。

私はスリッパをはいたまま庭に飛び降り、「ハリー」と呼んでみた。

ハリーは虚ろな目で、首も動かせないでぐったり横たわったままだ。

私は一旦リビングに上がり、予備の毛布を探してから、今付けたばかりのファンヒータの前にそれを敷いてから、庭からハリーを抱きかかえて、その毛布の上に寝かせた。

いつもなら抱きかかえる時にすごい抵抗をみせるハリーだが、まったく抵抗しないその体はふわっと軽く、簡単に持ち上げて、寝かせることができた。

熱いタオルを用意して体をごしごし拭いてやること5分、ハリーの体が反応し始めた。

ぶるぶる震え出したのだ。

それから五日目、今朝は自分で起き上がり一歩一歩歩き出した。


今日は、予てからのバンド仲間である池やん、かとちゃん、みつるとサテンドールに集合することになっていた。

大阪に転勤したKさんの送別会以来、みつるとは1年ぶりに顔をみる。

今日のサテンドールは、やまもときょうこ、ロカアレグリアである。

このセッションについては、サテンドールの2月度ガイドが届いた日から、ずーと聞きたいと思っていたので、皆にはこの日を指定して1ヶ月前から予定を空けておくようにメールをしておいた。

彼らのサルサは、期待どおりの切れのいい軽快なリズムと、フロントで歌い踊る「やまもときょうこ」の妖艶さが絡み合った抜群のバランスで構成されていた。

軽快なリズムに、トローンボーン、ペット、テナーサックスの3管がアクセントを入れるので、もうめちゃめちゃのノリになる。

以下に、今日のメンバーの紹介をしておく。

やまもときょうこ (Vo)

伊藤 寛康 (B)

相川 等 (Tb)

奥山 勝 (P)

大堰 邦朗 (Ts)

大野 孝 (Ds)

伊丹 雅博 (G)

菊地 成浩 (Tp)

山北 健一 (Perc)

話は変わるが、私が富山に住んでいた1980年代には、このサテンドールは六本木の俳優座の裏側にあった。

その頃の私は毎週東京への出張があり、学生時代に一緒にやっていたバンドのメンバーだった"みつる"と、時々サテンドールで会ったものだ。

彼が東京の職場仲間でやっていたバンドのメンバーが池やん、かとちゃんであり、何かのきっかけでこのサテンドールを借り切ってパーティーをやろうという話になった。

かとちゃんがサテンドールのオーナである井上さんと懇意であったこともあり、1987年のある土曜日にそのパーティが実現した。

当時、私が組んでいた富山のバンドと、今日集まった東京のバンドの合同演奏会である。

そのサテンドールの井上さんは、事業の多角化を行ったものの、バブル崩壊と同時に一旦店を閉めていたが、1990年後半から現在の場所でこのお店を再開したのである。

あの合同演奏会から、かれこれ14年、行け行けムードのバブル経済の中で少し血走った目をしながら仕事とバンドに夢中になっていた30歳代の我々も「いい年をしたオジさん」である。

変わらないのは、ミュージシャンをサポートする暖かい目をした井上さんのサテンドールである。

https://www.mixpizza.co.jp/content/a092.htm

いい気分で勘定を済ませて、レジのところにおいてあった「やまもときょうこ」のCDを購入した。

なんと、彼女は「ヤマキョー」と呼ばれ、姉御肌、石川県出身、極真カラテ2段である。

vir2

 
 ーつづくー
-P23-

ホームページへ 前の頁へ 目次へ次の頁へ