喜多院の夜桜見物を早々に切り上げて帰宅した。
関東の桜の開花宣言は3月26日であったので、今年は2週間近く花見を楽しむことができた。
これは、開花宣言の後に寒気が戻り、いわゆる「花冷え」が3、4日続いたからだそうだ。
喜多院は、江戸時代、春日の局が3代将軍家光を出産したという間があり、有名である。
この3代将軍家光が江戸城内・紅葉山から客殿、書院などを移築し、それが結果的には江戸の大火による焼失を免れることになったという。
危機管理対策の一つでもある「ディザスターリカバリー」を家光が意識したかどうかは知る由もないが、結果としては「よい政:まつりごと」をしてくれたことになる。
喜多院の客殿や書院は、慈眼堂・山門などとともに重要文化財に指定されている。
https://www.city.kawagoe.saitama.jp/kawa20.htm
今晩も冷え込みが厳しく、夜桜見物は1時間で終了した。
1989年の春は、富山から川越に引っ越してきたばかりで、こちらでの仕事、生活、娘達の教育など不安と期待が入り混じった気持ちで迎えた「お花見」だった。
お寺を開放してお花見を楽しむ、いわば市民の憩いの場所を提供するという、江戸っ子らしい?粋な計らい(川越は小江戸と呼ばれている)に、ある種のすがすがしさを覚えたものだ。
あれから12年目の夜桜見物である。
お花見とは関係がないが、川越の商店街は活気がある。
土・日のクレアモール(旧、新富町商店街)は、歩くのにも大変な人盛りである。
東京のベッドタウンとしての川越、ウィークエンドの人口過密都市という利点もあるだろうが、富山市と同じ位の人口を要する街としては、この商店街の活気は目を見張るものがある。
喜多院のお花見、江戸時代からの蔵作りの町並み、そして商店街、どこか共通の、街に流れる歴史に杜の香りがある。
杜という字は、木と土で構成されている。
木と土は数十年、数百年を経て、空気と水によって育まれ、その空気と水も杜によって還元される。
いわば、共生の関係にある。
この町並みを大事にしていきたいものだ。
桜といえば、仕事でお世話になっているR研究所の桜もとりわけ美しい。
このR研究所で、1997年からお世話になったI氏が播磨へ転勤となった。
I氏との出会いは、日本工業新聞社主催の「オープンシステムReady!モニター企画」であった。
https://www.jij.co.jp/OPEN/stage/main.htm
コンピュータ業界の専門用語で申し訳ないが、当時はイントラネットの黎明期であった。
それまでは、コンピュータシステムの仕組みは大別すると「ホスト系システム」か「クライアントサーバ(C/S)系システム」の二通りであった。
ホスト系システムが、ホストコンピュータに接続された専用端末か、その専用端末を擬似的にPCで動かす(エミュレーションソフト)仕組み、いわばダム端末の仕組みである。
国鉄(JR)の「みどりの窓口」に代表されるように、ホスト系システムの端末には、ほとんどインテリジェンスはない。
1990年代になって、Windows
PCが大量に導入されるようになり、Windows端末の豊富な表示機能を使ったクライアントとサーバ側にOracleなどのデータベース管理システム(DBMS)を配置して、クライアントとサーバの仕事を分担する、いわゆるC/Sシステム全盛の時代となった。
I氏が挑戦したのは、クライアントにインターネットの標準であるブラウザ(NetscapeやInternet
Explorer)を使い、サーバ側にはWebサービスと、これまでのDBMSを連携させる仕組み(いわゆる、イントラネットシステム)の実験であった。
このI氏の実験システム(プロトタイプ)を私がサポートしたことが縁となり、1999年から研究業務関係のサーバ管理を委託されることになった。
I氏の転勤先である播磨には、昨年結婚して嫁いでいったY・Kさんもいる。
東京見聞録2000年9月29日(金)
「IQ」→「EQ」を考える「結婚式の祝辞」https://www.necture.jp/tokyo-essay/tokyo000929.htm
そろそろ、Y・Kさんの嫁ぎ先の近くで捕れる「鮎がおいしい季節」である。
I氏、Y・Kさんと鮎を焼きながら、播磨の地酒で一献やりたいものだ。
(つづく)