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「自己破産」か「自助努力」の選択(その1)
自分のやっていることが大好きでそれに価値があると思っているのなら、それ以上に楽しいことなどあり得ない
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前号(2001年7月20日、28話)より、長女の「さやか」に原稿のタイプ入力を頼むことにした。 企業組織の世界でいうSCM(Supply Chain Management)の具現化として、これまでの「鈴木←忍」のコンテンツ作成作業に「鈴木←忍←さやか」の新たなサプライチェーンが誕生した訳だ。 本題の「自己破産」である。 その後、父の破産、逃避によって、この実家を「差し押さえる!」という保証協会からの連絡を受けたのが、次女のさゆりが3歳になり、富山市月岡に新居を構えて家族4人で生活してようやく落ち着いた頃であった。 今度は勝手が違う。 明るい話題を提供したい。 この帰省の最中である9月2日(日)の早朝(5:30)に、第27話(7月10日号)で紹介した
"富山湾横断プロジェクト"
の主催者であるK氏が「シーカヤック」の筆降ろしをしてくれた。
K氏は、私の実家からすぐ近くの国分浜にカヤックを2台積んで、富山市から1時間あまりかけて駆けつけてくれたのである。 K氏いわく「これまで何人もシーカヤックの初体験に付き合ってきたけど、その人と海との係りかたがお天気に出るんだよね!不思議なものだよ!」とのことで、心配していたお天気がうそのように晴れ渡った日曜日となった。 富山湾が私を大歓迎してくれて、海神様が祝ってくれた"気持の好いカヤッキング"となった。 国分浜から男岩の横を通り、その昔、源義経と弁慶が雨を晴らしたという「雨晴らし」の海岸線を海側から見るのは、三十数年ぶりのことである。 2時間くらいのカヤッキング後、K氏が先に浜辺にたどり着き、波打ち際の乳母車を見つけ、もう少し離れたところへ着岸しようと思いつつも、その手押し車に引っ張られるように砂浜に乗り上げていった。 このなんでもない光景(やり取り)が、なんだかとても暖かく、海から眺めている私からも、そのあたりの空気をとても柔らかいものにしていた。 この後、浜辺でK氏の奥さんが作ってくれた「おにぎり」と「ゆで卵」の朝食を頂きながら、富山湾の環境汚染に関する話題、そして、ecologyとeconomyが同じeco-から派生した言葉であるというK氏の造詣の深い話に聞き入った。 今回掲載のカヤッキングの写真は、K氏撮影、カメラは、RICOH GR1s 絞り11?16 -1EV、フィルムは、KODAK MAX400 である。
(つづく) |
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