前号(2001年7月20日、28話)より、長女の「さやか」に原稿のタイプ入力を頼むことにした。
その理由は、ネクチャー・ドット・コムの鈴木社長が事業多忙のため、この「忍の東京見聞録」のコンテンツデザインができない!との連絡があったからだ。
これまでは、ワード原稿と写真素材を送付するだけ(いわば寄稿作業)で終了していた作業に加え、コンテンツデザインも当方で手がけることになったわけである。
企業組織の世界でいうSCM(Supply Chain Management)の具現化として、これまでの「鈴木←忍」のコンテンツ作成作業に「鈴木←忍←さやか」の新たなサプライチェーンが誕生した訳だ。
本題の「自己破産」である。
高岡市伏木の実家には、母と祖母が住んでいる。
私の父は、約20年前に「ダンスホール」の経営に失敗して多額の借金から我が家を出て行った。
現在、伏木にある実家は父から譲渡(私が父の借金の一部を返済して、父から買い取った)されたものだ。
その後、父の破産、逃避によって、この実家を「差し押さえる!」という保証協会からの連絡を受けたのが、次女のさゆりが3歳になり、富山市月岡に新居を構えて家族4人で生活してようやく落ち着いた頃であった。
その実家が、父の借金の抵当権となっていた事により、母と祖母が実家から出ていかなければならない羽目に陥ったのだ。
今思えば、30歳代の元気な頃でよかったとしみじみ思う。
五年間かけて、その抵当権分の借金を返済した。
今度は勝手が違う。
8月28日に母が外科手術のため入院するという連絡を受けたのだ。
母は実家で「婦人服のおしゃれサロン」を一人で営んでおり、その仕入先に振出してあった手形や私を含む親戚が保証人となっている銀行からの借入金への返済が滞こおるという。
この入院中の母と実家にいる祖母を見舞うために9月1日、2日(土、日)の休日を利用してカミさんと二人で"とんぼ返り"の帰省となった。
親戚が集まった話合いでは、まもなく70歳を迎える母の体力・気力から考えると保証人関連の銀行借り入れを除いて、仕入先への手形やカード会社からの借り入れを反故にする、いわば「自己破産」が一番楽な方法であるという意見が出た。
弁護士に頼めば、そのあたりの手続きは一切お任せすればいいとのことである。
私としては、まず体を直すことに専念して、手術の経過と退院後の体の状況を見てから考えたらどうか?ということで、慌ただしく帰京した。
明るい話題を提供したい。
この帰省の最中である9月2日(日)の早朝(5:30)に、第27話(7月10日号)で紹介した
"富山湾横断プロジェクト"
の主催者であるK氏が「シーカヤック」の筆降ろしをしてくれた。
K氏は、私の実家からすぐ近くの国分浜にカヤックを2台積んで、富山市から1時間あまりかけて駆けつけてくれたのである。
K氏いわく「これまで何人もシーカヤックの初体験に付き合ってきたけど、その人と海との係りかたがお天気に出るんだよね!不思議なものだよ!」とのことで、心配していたお天気がうそのように晴れ渡った日曜日となった。
富山湾が私を大歓迎してくれて、海神様が祝ってくれた"気持の好いカヤッキング"となった。
国分浜から男岩の横を通り、その昔、源義経と弁慶が雨を晴らしたという「雨晴らし」の海岸線を海側から見るのは、三十数年ぶりのことである。 今日見たこの故郷の海岸線の美しい景色は、一生脳裏に刻み込まれる残像となるに違いない。
2時間くらいのカヤッキング後、K氏が先に浜辺にたどり着き、波打ち際の乳母車を見つけ、もう少し離れたところへ着岸しようと思いつつも、その手押し車に引っ張られるように砂浜に乗り上げていった。
私が着岸した後、久しぶりの海水浴を楽しんでいる時に、海藻を拾っているらしいお婆さんがK氏に近づいて何かを手渡していた。
このなんでもない光景(やり取り)が、なんだかとても暖かく、海から眺めている私からも、そのあたりの空気をとても柔らかいものにしていた。
おばあちゃんは、わたしたちのきょうの時間を祝福してくれている神様のお使いのように思えたそうで、海から上がった私にも、K氏はその煎餅の一枚を分けてくれた。
この後、浜辺でK氏の奥さんが作ってくれた「おにぎり」と「ゆで卵」の朝食を頂きながら、富山湾の環境汚染に関する話題、そして、ecologyとeconomyが同じeco-から派生した言葉であるというK氏の造詣の深い話に聞き入った。
今回掲載のカヤッキングの写真は、K氏撮影、カメラは、RICOH GR1s 絞り11?16 -1EV、フィルムは、KODAK MAX400 である。
(つづく)
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