恥ずかしい話しであるが、私は「Raoul Dufy」という画家をまったく知らなかった。
山手線の電車にある広告を見ると"企画:ポンピドーセンター・国立近代美術館"とある。
このデュフィ展が開催されている安田火災海上といえば、安田グループの中核会社であるし、安田グループの創設者である安田善次郎氏は富山県出身である。
安田財閥創業者
・安田善次郎[やすだぜんじろう](1838〜1921)
・富山県富山市出身。
・幼少の頃から読み書き、そろばん、金儲けが大好きという人物で
・寺子屋の仲間を集めて貯金組合をつくる。
・26歳の時、25両の資金を元手に日本橋に両替店「安田屋」を開く。
・安田保善社を主軸に金融業を中心に成長し大正12年安田系銀行を
・大合同して飛躍的に発展したが、翼下に有力な産業部門を欠いていため
・浅野財閥を全面的にバックアップした。
・晩年、東京大学安田講堂・日比谷公会堂などを寄付し、公共事業にも貢献。
・大正10年国粋主義者に刺殺される、82歳。
https://www.sanbou.net/retsuden/index.htm より検索
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これも何かの縁である。
新宿のC社での打ち合わせが予定より1時間ほど早く終わったので、このデュフィ展を見に行った。
ここにきて、新規コンサルティングの営業案件が実り、少し一息つきたい気分であった最中、このような画家の偉業のおおよそを日本で見る機会(1時間であるが・・・)を持てたのは何と幸せな事であろうか。
今回のデュフィ展は、ポンピドーセンターの大改修による一時的な閉館という背景があり、それに加えてフランス国内に散らばっている40の美術館にあるデュフィの作品を一同に集めようとした企画が実ったとの事である。
買い求めたカタログにある「ラウル・デュフィ」の絵画の位置を要約すると以下のようになる。
デュフィは1887年英仏海峡を臨む港町ル・アーブルに生まれ、若い頃は「印象派」の影響を受けてノルマンディー地方の風景をモティーフにした作品を残している。
その後、マティスとの出会いによって「フォーヴィスム」的な作品を描き、やがて、ゼザンヌの影響を受けたり、ブラックとともに「キュビズム」にも関わったりしていた。
1920年頃からのデュフィはリズミカルな線表現を用いた海景画を多数残している。
1937年のパリ万国博覧会では、長さ60m、高さ10m、250枚のパネルでできた作品を残し、この≪電気の精≫は、現在パリ市近代美術館に常時展示されている。
私はデュフィのカタログにある年表とその絵画を見ながら、この画家は自分の生涯を、ある一定の時間で区切って、自分の絵を進化させ続けた"非常に戦略的な芸術家"であると感じた。
私も含めて職人(スペシャリスト)は、このデュフィのような戦略的な自分の進化論を持つことが大事ではないだろうか。
今回のデュフィ展は以下のような期間で国内5ヶ所の美術館で開催されている。
・2001年3月25日〜5月27日
宇都宮美術館
主催:宇都宮美術館、読売新聞社
・2001年6月10日〜7月15日
三重県立美術館
主催:三重県立美術館、読売新聞中部本社、中京テレビ
・2001年7月21日〜9月2日
秋田県立近代美術館
主催:秋田県立近代美術館、読売新聞
・2001年9月8日〜10月28日
安田火災東郷青児美術館
主催:財団法人安田火災美術財団、読売新聞
・2001年11月3日〜12月9日
高松市美術館
主催:高松市美術館、読売新聞大阪本社、西日本放送
右にある絵「赤いバイオリン」の譜面には"ラルフ・デュフィの音楽と絵画"という文字が書き入れてある。
何と遊び心がありウィットに富んだ絵であろうか。
音楽と絵画という造形化しにくい題材をいとも簡単にまとめ上げて、それもシンプルな黒と赤だけを使って…。
この絵のすばらしさは、アイデア+デッサンの基本+配色である。
このデュフィ展は主催者の一社である読売新聞社の提案により実現したとの事である。
そういえば、読売新聞社の創始者である正力松太郎氏も富山県出身である。
これも何かの縁だなーと思いつつ、デュフィの絵の余韻による清々しい気分を残しつつ、次のコンサルティング先のテーマを頭に思い浮かべながら、新宿駅の雑踏の中を歩を早めた。
(つづく)
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