■ 2002年6月9日(日)

 富士見台テニスクラブとニューヨーク紳士録(常盤新平)


Graffiti Corner : Some people are like blisters. They don't show up until the work is done.

 「まるで『まめ』のような人間がいる。仕事が終わるまで現れない人たち」
 Blisterは「皮膚の水(火)ぶくれ」のことで、靴ずれなどの水ぶくれは時間が経ってからあらわれるので、このような皮肉に使われるそうです。

 NHKビジネス英語の杉田先生は好きな言葉として、俳優であり映画監督である Woody Allen の言ったことを以下のように引用しています。
 Sowing up is 80 percent of life.
 「顔を見せるだけで、人生の8割だ」


 昨日の土曜日は梅雨前の快晴。
 東京E社のM氏から予てよりお誘いのあった「富士見台テニスクラブ」にXAX狭山のTコーチと出かけていった。

 つい最近、このテニスクラブのクラブハウスが落成し、会員である"ちばてつや"さんの紫綬褒章のお祝いパーティもこのクラブハウスで行われたとM氏からお聞きした。
 練馬区にある住宅地の中に10面近くある大規模なテニスクラブであるが、オーナーが自らコートの整備を行っているアットホームな雰囲気のテニスクラブである。
 このテニスコートのオーナー曰く、クレーコートの砂は鳥取の砂でなければならない、その砂を自ら篩にかけて自分自身が撒き、毎朝そのコートにローラーをかける。
 そして会員さんに気持ち良くテニスを楽しんで頂く。

 サービス業の原点がここにある。

 前述のM氏は、少年時代からテニスをやっていて一時は全日本の強化選手にもノミネートされたというだけあって、彼のショットをまともに正面で受ける時の恐怖感たるや「あー、テニスをやっていてよかった」という快感?の瞬間がそこにある。

 ちばてつやさんも見えられ、楽しそうに汗をながしておられた。
 この富士見台テニスクラブのURLは以下のとおり。
https://www.aruke.com/FTC
 このHPの絵はすべて、ちばてつやさんが書いていらっしゃるとのこと。
 ウィンブルドンをはじめ世界のテニストーナメントとのリンクはもちろん、ちばてつやさんの「ぐずてつ日記」もリンクされている。
 この日記に、我々のもう少し後の世代では伝説のマンガともいえる”あしたのジョー”の力石トオルの32回忌の法要が行われたとのこと、架空のボクサーである登場人物の法要が行われるくらいに思い入れのあるマンガともなると、すごいものである。

 このテニスクラブで5時間あまり汗を流した後、夕方からはいつもの土曜日に戻り、川越市的場近くの"盛田接骨院"でマッサージを受ける。
 至福の時間がここにある。

 話題を変えよう。

 常盤新平の「ニューヨーク紳士録」という本があることを2年前に知った。

 都内の本屋で検索をしたが、絶版とのことであった。
 いつか時間ができたときに読もうと手帳に記入しておいた。
 家の近くに川越市西図書館が新設され、土・日に時間があるとそこで過ごすようになってきた。
 パソコンで検索すると本所に蔵書があったので、取り寄せてもらい、ようやくその本を手にすることができた。

 1983年11月5日初版発行(彌生書房)のこの本には、50人のニューヨーカー、それも作家が紹介されている。
 紙面の関係もあるので、最初に登場する”アーウィン・ショー”の一部を以下に記録する。

 引用文の最後にある『想いを含んで、ほのかに甘く』という中篇小説のルイズの台詞が私は好きだ。

 2年ぶりに会う男からの電話で、「きみは何を着ているの? もっともきみがわからなかった場合の話しだが」と女に言うと、彼女は答える。

「私は顔に微笑を着ているわ」

 
 ニューヨーク紳士録(常盤新平)

 アーウィン・ショー
 都会小説の名手の台詞の素晴らしさ

 アメリカで一番好きな作家は、と訊かれたら、アーウィン・ショーと答えたい。
 それは今も昔も変わらない。
 『夏服を着た女たち』をはじめて読んだとき、私はアーウィン・ショーについて何ひとつ知らなかったが、この作家のものを読みたいと思った。
 歯が浮くようなお世辞を言うなら、『夏服を着た女たち』は、春から夏にかけての、ある晴れた日に、街でただ一度ちらりと見かけた美女のようだったのである。
 この一篇を見つけるために、自分はアメリカのペイパーバックを読みあさってきたのではないか、私はそう思ったものである。
 そのころ−−25年ほど前−−英語を読む力は、そんなになかったけれども、『夏服を着た女たち』の一行一行が私には、驚異だった。
 『夏服を着た女たち』は、若い夫婦の日曜日の朝、なんでもない話なのに、じつはしゃれた短編になっていた。
 このことはなんども書いてきたので、気がひけるけれど、ショーについての私の第一印象をあらためてここで言いたかったのである。
 そして、もうひとつ、彼の印象についてつけ加えるならば、ショーは解説をほとんど必要としない作家である。すぐれた小説はみんなそうではないか。
 (私は注釈つきの翻訳小説をあまり信用しない。寝ころんで気楽に読めるのが、小説ではないか。)

 アーウィン・ショーを通じて、私は小説の読み方を教えられたように思う。
 当時、彼は日本では無名だったので、私は自分だけの作家であるような気がしていたし、ショーのような作家がいつ日本で読まれるだろうかと考えたものだ。
 そういう時代はたぶん来ないのではないかと悲観的になっていたことを私は覚えている。
 それで、私は自分の楽しみと翻訳の勉強のために、ショーの短編を少しずつ訳していった。
 そのなかで活字になった作品は、主として探偵小説の雑誌に掲載された。
 翻訳小説を載せていた探偵小説誌の編集者に売りこんだ結果である。
 ショーは劇作家として出発した。
 23歳のとき、『死者を葬れ』で華々しくデビューした。
 この戯曲は昭和30年代に小劇団によって俳優座劇場かどこかで上演されている。
 『死者を葬れ』については、戯曲を読んだあとで、ハロルド・クラーマンという演出家の回想録『情熱の歳月』を通読して、ショーの颯爽たる登場の模様を知った。

 ショーの短編を集めた『男たちと女たち』"Mixed Company"を手に入れたときの嬉しさは忘れられない。
 ロンドンのジョナサン・ケープ社から出たハードカバーである。
 初版が1952年。そのころは現在ほど簡単に絶版にならなかったから、それから数年たって私が新宿の紀伊国屋書店から注文しても、手にはいったのだろう。
 このハードカバーがいまはペイパーバック(ニュー・イングリッシュ・ライブラリー)で読むことができる。
 この一冊からも、ショーの作家としての現在の絶大な人気がわかるけれども、その人気はショーの作品の質と必ずしも一致しないところが、私には残念でならない。
 『男たちと女たち』はガス・ロブラノとウィリアム・マックスウェルのふたりに捧げられている。
 ロブラノのマックスウェルも週刊誌「ニューヨーカー」の小説担当編集者だった。
 すなわち、ショーは「ニューヨーカー」の作家だったのである。
 『夏服を着た女たち』も『ニューヨークへようこそ』も「ニューヨーカー」に掲載された。

 「ニューヨーカー」を私が読むようになったのは、おそらく、ショーが都会的な短編小説を書いていた雑誌だったからだろう。
 しかし、私がこの週刊誌を読みはじめたころ−−1960年ごろ−−ショーは短編を発表しなくなっていた。
 1955年、56年とまとまった「ニューヨーカー」を古本屋で見つけたとき、そのなかの一冊に「死んだ騎手の情報」が載っていた。
 この中篇は、ショーがパリから送った原稿だろう。
 彼はマッカーシズムのアメリカから逃れて、その当時、パリに住んでいた。
 ショーはニューヨークとパリを描いた。
 それから戦場も。
 同時に、ショー自身が生きた時代を書いている。
 しかし、ショーの小説にそういう解説はいらない。

 『80ヤード独走』はショーの短編のなかでも私のとくに好きな一篇だ。
 学生時代にフットボールのスターだったハンサムな男が金持ちの美人と結婚し、彼女の会社の重役におさまって、試合のないときは遊んでいるのだが−−酒と女である−−1929年のウォール街の大暴落で一文無しになる。
 その結果、妻は女性雑誌の編集者になり、本人は酒びたりの生活をだらだらとつづけるのだが、ある日決心して、既製服のセールスマンになる。
 80ヤードをやってのけたときから15年後の秋の日、母校を訪れるのである。
 『80ヤード独走』の主人公クリスチャン・ダーリングに1920年代と1930年代のアメリカを見ることができる。
 私はまだ20代のころにこの短編を訳したけれども、その訳稿はじつにお粗末だったので、それから15年後に訳しなおした。
 クリスチャン・ダーリングもよかったが、彼の妻となるルイズも魅力的だった。
 彼女は美しくもあるが、30年代の不況にびくともしなかった、したたかなところがある。
 小説は、女の台詞を読めば、出来のいい小説かそうでないかがわかる。
 ショーの短編のいいところは、女の台詞がすばらしいことである。
 2年ぶりに会う男からの電話で、「きみは何を着ているの? もっともきみがわからなかった場合の話しだが」と女に言うと、彼女は答える。
 「私は顔に微笑を着ているわ」−−たぶん、こういう表現は英語だからできるのだろう。
 だから私はあえて「微笑を着る」という直訳をしたのだった。
 『想いを含んで、ほのかに甘く』という中篇小説である。

 

 半世紀以上も書きつづけてきたこの作家がいつも使っていたタイプライターはオリベッティ44だったそうだ。

 ショーと比較するわけではないが、私は「IBM ThinkPad 560」の持ち運びの良さとキータッチが好きである。

 (つづく)

-P.40-

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