■ 2002年07月12日(金)

 福島勇三さんのインタビュー(その2)


Quote…Unquote: A man is the sum of his action, of what he has done, of what he can do, nothing else. - Andre Malraux (French statesman and Novelist 1901-76)

 人は、何をしてきたか、何ができるかという、行動の集積にほかならない。


 永楽倶楽部の福島勇三さんへの2回目のインタビューである。
 今回は、前回インタビューをお願いしたNaoko-sanにCOMPAQ社のYoshimi-sanと、ミントカラーのMac Noteを持参したMasamichi-sanの3名にお願いした。
この原稿は、Masamichi-sanの原文と写真を借用したものだ。

 最初にアイスブレークも兼ねて、福島さんの出生地である埼玉県日高地方(高麗川)のお話しからお聞きした。
 福島さんが小学校の5年生の頃、高麗駅には意味深なモニュメントが建っていたという。
 「そのモニュメントの片方には"天下大将軍"、もう一方には"地下女将軍"と書いてありました。それがどういう意味なのか解りませんが」と言いながら、福島さんは記憶を思い起こすようにそのモニュメントをメモ用紙に描きとめてくれました。
 このデッサンを頼りに、後日インターネットで調べてみたところ・・・。
 https://www.cnet-ta.ne.jp/p/pddlib/photo/hidaka/shodenin.htm

 ちなみに、高麗とは"こうらい"とも呼び、その昔は朝鮮をそう読んでいたことがあったので、もしかすると韓国とのゆかりが深いのかもしれない。
 https://www.moriofan.com/korea2.htm

 ここからは、前回のインタビュー(第34話)の続きとなる。
 ジョンソン基地(現在の自衛隊入間基地)のランドリー係の仕事を斡旋された福島さん、田舎でお祭りがあるため3日後に出勤してみると、ランドリー係の仕事は別の人が、しかし、下士官クラブのバーテンダーに空きが出ているとのこと。

 昭和22年(1947年)福島さん二十歳。
 このバーテンダーという天職を今も続けていらっしゃる数少ないマイスター(日本に3名とお聞きしている)のお一人である。

 ジョンソン基地の下士官クラブは、航空神社の跡地に建てられたクラブであり、そこで福島さんは先輩のバッキーさん(本名:早野さん 進駐軍の軍人が銘々)の横について、仕事をすることになった。

 「初めのうちはお酒の種類や、作り方などわからずただオロオロするだけでしたよ。でも、バッキーさんからクレメ(クリームド) デ カカオ(カカオのリキュール)を飲ませてもらい、あまりの甘さに感動したことは今も忘れられませんね。終戦当時は何もない時代でしたし、こんな甘い、おいしいお酒があるなんて、当時のアメリカは豊かな国の象徴でした」

 最近の飲み手が辛口を好むのに対して、当時はキューバリバーやマンハッタンなどの甘いカクテルが流行していたようだ。
 この頃の下士官クラブには、ジョーリージョーカーズというジャズバンドがいたという。
 「このバンドは7名構成で、メンバーは日本海軍軍楽隊の生き残りの人たちでした。当時は演歌っぽいもので"恋の賛歌"や、進駐軍向けの"You are my sunshine."などを演奏していました」
 「このバンドは、毎週日曜日のNHKラジオの12時の時報とともに始まる"お昼の音楽会"という番組 でジャズを1時間演奏していましたよ」

 NHKのラジオ放送のお昼に1時間もジャズの生演奏を流す、国民的なジャズバンドがあったという、なんと優雅な時代ではないか。
 ちなみに、3〜4年前にNHKの特集で、その当時のクラブの雰囲気を再現するために、このバンドの人達と一緒に福島さんも番組に参加したとのこと。
 1年ほど下士官クラブで働いた後、福島さんは青森の三沢基地にある将校クラブへ行くことになった。
 その将校クラブでは地元のバーテンダーが役不足だと言うことで、東京から2名呼び出されたのだ。
 
 当時の三沢基地は、AP:Air Police (MPではない)で、将校クラブの担当者はこちらに来るバーテンダーは女性だと勘違いしていて、福島さんたちを一目見るなり「なんだ、男か・・・。」とがっかりしたらしい。
 進駐軍の将校クラブのため、タイムテーブルは米国シフト、お客は軍人、もしくはその家族がほとんどで、連日80名から100名のゲストが訪れていたとのこと。
 「三沢基地ではチーフバーテンダーのトミーさんについて、バーテンダーの仕事を教えてもらいました。このトミーさんは商船でバーテンダーをしていた方で、私をはやく一人前のバーテンダーにならせるため、遊ぶ暇もないほどみっちり鍛えらました」

 鉄は熱いうちにたたけ!のことわざのとおり、今の福島さんの原型はこの時代につくられたのではなかろうか。

 三沢基地のカウンターは卵形をしており、バーテンダーの並び順は仕事が出来る人は入口近くに、そして位の高い順から左側、右側、後方側の順でカウンターに立ち将校たちの接客をしていたとこと。
 「なかにはめずらしく女性の将校もいました。私はジョンソン基地で働いていたため、皆さんから"ジョンソンボーイ"と呼ばれて、かわいがられました」

 福島さんは三沢基地で3年くらい働いた後、いったんジョンソン基地に戻り、その後、将校向けのホテルであった新潟ホテルで働くことになった。
 しかも、その話はあまりにも突然だったため、以前に働いていたところへ退職届を朝のうちに提出し、その日の夜には新潟へ向かうほど急であった。
 このころの新潟といっても、上野からは蒸気機関車で10時間以上はかかった時代であろう。今の清水トンネルはなく、ループトンネルをとおる鉄道で峠を越えたのではなかろうかと思い、調査した結果、以下のURLに情報があった。

https://www.interq.or.jp/mars/omr/m03map/m032/m032yuzawa/m032yuzawa.htm

 「この列車には米軍の将校用の車両があって、私はある将校の計らいでこの車両で新潟に向かったわけです、一般の人たちは、結構、すし詰めの車両で移動していた時代ですよ」
 その後、福島さんは新潟のホテルから箱根の強羅ホテルへと仕事場が変わることになるのである。

 今回のCocktail
 ・ミントカラーのMacに合わせた「Wakakusa」
 ・日本酒をベースにした「さくらさくら」

 今回のImage Music
 ・ジョーリージョーカーズに敬意を表して、ソニークラークの"Blue Minor"

(つづく)

-P.41-

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