これでしばらく生きていける(藤沢周平)
Quote…Unquote: Death is not the greatest loss in life. The greatest loss is what dies inside us while we live. - Norman Cousins (U.S. magazine editor and author, 1915-90) 死は人生における最大の損失ではない。最大の損失は生きている間に心の中で死んでいくものである。
死は人生における最大の損失ではない。最大の損失は生きている間に心の中で死んでいくものである。
高橋敏夫の「藤沢周平−負を生きる物語」(集英社新書)を参考にしながら、藤沢周平の「暗殺の年輪」と「三屋清左衛門残日記録」(文春文庫)を読み終えた。 おりしも10日前にハリーに最後の注射を決意して家族全員に"お別れメール"を入れた矢先のこと。 カミさんはいらなくなったタオルを利用してハリーの腰骨のところに当てるドーナツ型の座布団を作った。 娘達は家に早く帰ればハリーの体をひっくり返して(寝返りを打たせて)やる。 私は早朝、下の世話と寝返り、そして休みの日には風呂場で大便と小便がこびりついた体をこまめに洗ってやる。 家族が自分の持ち場持ち場を担当して、一丸となってのハリーの世話をしたことが効をそうしたのか「ジョクソウ」はみるみる小さくなっていった。 寝たきりをなおすことはできないが高橋敏夫の藤沢周平文学を評した"これでしばらく生きていける"の状態なのである。 高橋敏夫は「ときどきわたしは、これでしばらく生きていける、という気持ちをもたらす小説や詩、あるいは映画やマンガにであう」という。 藤沢周平『又蔵の火』とのであいもまた、そうした「であいのひとつだった」と言っている。 私の感想は、藤沢周平の物語には司馬遼太郎や池波正太郎のようにわくわくするものはない。 が、いくつもの負を背負いながら生きる市井の世界がしっかりと描かれていて、その中に時折少し光が差すところがよい。 そして、そのような庶民の生活の中に描かれているどこにでもある風景の描写がすごい。 あたかも、そこに自分が居合わせたかのような錯覚に陥る。 「三屋清左衛門残日録」からその一部を紹介したい(以下の文章の入力について長女から日本語変換辞書にない単語が多い!と大顰蹙をかった)。 藩首脳の大粛清が無気味なほどの静けさのうちに終了した秋の一時。 三屋家の隠居、三屋清左衛門は、枯野のむこうに小樽川の川土手と野塩村の木立が見えて来たところで足を止め、ついで踵を返した。 夕日を正面から浴びながら歩いてきたので、日に背をむけたとたんに、清左衛門目の中が真っ暗になったのを感じた。それまでの光がまぶしすぎたせいだろう。だが目はすぐに馴れて、ふたたび目の前にひろがる透明な光につつまれた晩秋の風景が見えて来た。 ところどころに見える畑に、太ぶととならぶ大根と枯れて立つ豆の畝を残すくらいで、野の作物はほとんどが取り入れを終わったようである。道わきからひろがる田圃も、稲の株から心ぼそげにのびる蘗のうすみどり、畦にはえる芒の白い穂が夕日を浴びてわずかな色どりをなしているものの、あとは一面に露出した黒土がどこまでもつづいているだけだった。 畑と境を接する田圃の隅に、稲杭をあつめて積み上げている人影が二つ、黒く動いているほかは人の姿も見えなかった。季節の終わりを示す光景だった。 しかし数日の霧もまじるつめたい雨のあとにおとずれた今日の晴天は、風がないせいもあってか、季節にしてはあたたかかった。そのあたたかさに誘われて、散策の足を野塩村のあたりまでのばしてみようかと思ったのだが、そうするには少少時刻が遅れたようである。 近ごろの日は唐突に暮れてしまうので、あのまま野塩村にむかったら、村に着くまでに日は落ちて、帰り道はぶり返す寒気に襲われてふるえる羽目になっただろう、と思いながら清左衛門は来た道をのんびりと引き返した。 今度は正面に国境いの遠い山山が見えている。小樽川の水源をなす南方の山塊からわかれる国境いの連山は、東から北に、障壁のように空を斜めに区切っていた。そしてその奥に、いまごろの季節には雲に隠れてめったに姿を現さない弥勒岳の山頂がみえた。 鉾の先のようにとがっている弥勒岳の山頂は、数日のつめたい雨の間に雪が降ったとみえて真白に光っている。そしてその下に翼のように東から北に波打つ峰をひろげる連山は、雪こそ見えないものの、頂きのあたりは落葉としたあとの寒寒とした灰色に変り、わずかに麓に近い三合目あたりから下に紅葉の色をとどめるだけだった。衰えた西日がその山山を照らし、山はその弱弱しい光のためにかえってかすんで見えた。 −−今日の日和のように・・・・・・。 藩もこのまま何事もなく済めばよいが、と清左衛門は思った。 ハリーもこのまま生きつづけてくれればいいのだが。 (つづく)
(つづく)
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