■ 2002年10月21日(月)

 ハリーが天使になった日


Quote…Unquote: It is foolish and wrong to mourn the men who died. Rather, we should thank God that such men lived. - George S. Patton (U.S. army general, 1885-1945)

 亡くなった人を悼むのは愚かだしまちがったことである。それよりもそのような人が生きていたことを神に感謝すべきだ。


 ハリー逝去、15歳10ヶ月。
 夕刻にAE社のコンサルティングを終えての帰路、PHSにカミさんの留守録が入っていた。
 「ハリーがね、ハリーがね、死んじゃった」という涙声。
 品川から帰宅を急ぐ。
 山手線の車内でとめどもなく出る涙とハリーと過ごした日々を走馬灯のように思い出す。
 これがまた映画のようなストリーミングではなく一枚一枚がフラッシュをたいたような写真のショットで思い出すから不思議なものである。

 長野県須坂市にある桧山さんのお宅を家族4人で訪問し、生後3ヶ月のハスキー犬の子犬達を見たのは1987年の春だった。
 長女のさやかは10才、次女のさゆりは5才。
 二人には「子犬を見て、欲しいと思ったら、そーっと親指と人差し指で○を作ってお父さんに伝えて」と言ってあった。
 桧山さんは国連の職員をしていてカナダに住んでいらっしゃったときに犬ぞりに見せられて、日本に帰国するときハスキー犬のつがいを持ち帰ってきたそうだ。
 それが、ハリーの両親である。後日であるが、桧山さんから送付されてきたハリーの血統書を見て驚いた。祖父がみなカナダのチャンプだったのである。

 あの冒険家である上村直己さんが北極犬を犬ぞりで走った時に、カナダ在住の日本人サポーターの一人だったと桧山さんのお宅の応接間で当時の話を伺った。
 この日の訪問はカミさんが愛犬の友にあった「極北極犬協会」からハスキー犬の子犬を譲りますという広告記事を見たのがきっかけであった。
 桧山さんには電話で事前に子犬を見せて頂いきたい旨を連絡したが、大事に飼ってもらえるか面接をしたい!とのことだった。
 そこで、子供たちも一緒に富山から長野県須坂市にある桧山さんのご自宅を訪ねて行くことになった。

 子供達は"そーっと私にOKサインを伝えるどころか「パパ、パパ、マルだからね、〇だからね!」と大きな仕草で言うものだから、桧山さんは「何のことですか?」といぶかしげに訊ねられたものだ。
 そして、ハリーの子供、孫、ひ孫、玄孫は今もその血を受け継ぎ「犬ぞり犬」として活躍している。
 (第14話で紹介した神奈川県犬ぞりクラブ http://www6.airnet.ne.jp/ksdcmay/ にリンクします)

 ハリーはつい2ヶ月前まで後ろ足を引きずりながらも歩いていた。
 我が家の近くの一角を400メートルほど歩くのに30分以上かかっても、一歩一歩、のっしのっしと歩いていた。
 そう、私たちもいつか寝たきりの生活を迎えることになるかもしれない。
 しかし、最後の一歩までしっかり歩き続けたいものだ。
 ハリーのように。

(つづく)

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