■ 2004年5月15日(土)

 第二次世界大戦時に「軍属船員」だった皆様へのお知らせ(旧姓、森田良一から)


Reference: A positive attitude is your best friend. (Keinan Iwamura, NHK Let's Speak English)

 太平洋戦争で軍属船員として国事に従事し、昭和十九年初期頃から、フィリピン島、又は南太平洋方面で被災離船し、現地に残留して、終戦後に引揚げされた方々は、昭和二十年四月一日から引揚げの日までの間、給与未収の損害と年金の受給権を喪失している可能性があります。
 上記の事実に該当するかも知れないと思われる方で、給与、及び年金の受給を希望される方は、当時の状況を記載されて下記の住所に連絡、又は問合せ下さい。

  〒930-0973 富山県富山市長江東町1−1−37
         駒井 良一(終戦当時、玄海丸乗船員 旧姓 森田 良一)

 お問い合わせの方には、当方で調査した資料一式を実費500円で送付致します。

 今年は「けんか山車祭」の5月15日が土曜日なので、かねてより約束をしていた牧野さん(サンライズエージェンシー代表)と富山への行脚とあいなった。
 上記のお知らせは、祭りを楽しんで伏木の実家に泊まった夜に父から依頼されたものである。

 父のことは本見聞録2001年7月10日第27話「WATER BEETLESと富山湾横断プロジェクト」の文末に少し紹介したが、第二次世界大戦(太平洋戦争)で軍属船員として物資輸送の商船に乗り込んで東シナ海からビルマ方面まで行ったという。
 一船団、千数百名で出かけて行ったが、周りで護衛している駆逐艦や仲間の船が次々に沈んで行き、父の乗り込んだ「玄海丸」も沈められ、ボートで漂流しながら、終戦後日本に帰って来た時の仲間は、父の知る限りでは数人だったという。
 この玄海丸が沈んでから終戦後日本に帰ってくるまでの期間は、行方不明者として扱われ、船会社(現、商船三井)からの給与未払いや年金受給権の喪失など様々な問題を今でも引きずっているようだ。

 父は訴訟を含めたこれらの資料を400字詰め現行用紙にして1,000枚近く書き続けている。
 一字間違えては、一枚書き直しているようだったので「パソコンのワープロを覚えた方が効率がいいよ!」と話したところ、今度、富山に帰省するときに教えてくれとの依頼があった。

 父はこの秋から80歳過ぎてからのパソコンの手習いに挑戦することになる。

 (つづく)

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