■ 1999年01月15日(金)

 産業社会学M先生(熱海のご自宅にて)


Quote…Unquote: The one real object of education is to leave a man in the condition of continually asking questions. - Bishop Mandell Greighton (English historian, 1843-1901)

 教育における本当の目的は、その人に継続的な質問を投げかけさせる状態におかせることだ。


 私の記憶が正しければ、M先生と初めてお会いしたのは1977年の春だったと思う。先生はH電機商会の経営コンサルタントとして名古屋から富山に月2回程度出張されていた。
 当時、H電機商会のコンピュータシステムの導入のためT電機の営業マンOTさんから先生を紹介されたと記憶している。
 私は、1977年秋からこのM先生のクライアントであるN荷役のコンピュータシステムを立ち上げるべく私が勤務するTシステム富山本社と東京営業所を1989年に日本DECに転職するまでの12年間毎週往復することになる。

 先生とお会いしてから22年、先生は60歳近い年齢である。
 98年12月に頂いた先生からのメールには以下のような近況が記されていた。

 

= M先生からのメール(98年12月吉日)=

私は、N荷役の経営コンサルタントを終えて生まれ変わりました。

50歳で名古屋の南山大学大学院の経営学博士前期課程を3年かかって修了しました。

55歳で関西学院大学(私の母校)の社会学部で社会学博士後期課程を3年間で修了しました。

博士論文を書いたのですが、出版して生活の糧に替えてしまいました。

  

 先生がお金に変えた卒業論文は経営書院から出ている『実践経営学』です。M先生の名前がばれてしまいますね。
 先生は「長女がイギリスで来年(1999年)春に博士号を取りそうですので私は、もうやめにしました」と最近の心境を語っていました。そして、奥さんと”老人ごっこ”と称して、年に2回数週間にわたり世界を旅行されています。

 先生の名古屋の本宅は、産業社会学研究所として今もTさんが留守宅を預かっていて、東京目白にも研究所の分室がある。目白の分室では、ご子息を含めて産業社会学を実践するために活動されています。

 M先生からは、20数年にわたりいろいろのご教授をいただきましたが、最初にN荷役で言われた次の言葉が印象的です。君はTシステムを始めたというが、どう終わらせるかという計画はあるんですか?
 そうですね、「会社」も「人生も」ただ時間に流され、他人任せの受身的名発想よりも、自分の意志によってコントロールしながら積極的に活き抜いていきたいものですね。

 主題とだいぶそれてしまいましたが、AHと訪問したM先生の熱海の温泉付きマンションは高台にあり、熱海湾や初島の風景はまさにmagnificent viewでした。

温泉に入った後、お刺身や蟹に舌鼓を打ちながら、前述の元T電機営業マン(現在はHW社社長)OTさんから頂いた富山の銘酒をご馳走になり、すばらしい一日を満喫した。

熱海湾の風景

 (つづく)

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