昨年はモーツアルト生誕250年ということもあり、様々なイベントが開催されクラシック愛好家にとっては堪らない年であったと思う。我が家で一緒に暮らす孫の翔琉(かいり)もなぜか「協奏交響曲変ホ長調K.364、オルフェウス室内管弦楽団」は黙って聴いている。
今日は嫌がるカミさんを説得して“シネプレックスわかば”で上映中の「敬愛なるベートーベン」を観に出かけた。いつもは私が渋々映画のお付き合いをするのだが、今回はまったく逆パターンの展開に彼女は気持ちが乗らないようである。
案の定、クライマックスの第九を聴きながら涙がボロボロの私の横顔を呆れた顔つきで眺めていた。(こんなに純粋に音楽を聴きながら泣いたのは何年ぶりのことであろうか?そしてなんと幸せな一瞬なのであろうか?)
いつもは年末の第九喧騒曲と茶化してした私だが、この映画はお薦めである。
この映画はイギリスとハンガリーの合作で制作されたそうだが、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンと写譜師の女性アンナ(架空の人物)の交流を描いたものである。エド・ハリス(Ed Harris)とダイアン・クルーガー(Diane Kruger)の共演も光っていた。
ここで紹介本を一冊、ウェブ人間論、この本は前述の「敬愛なるベートーベン」と一緒に“よかったよ!”とお薦めして下さった方がいたので、早速買い求めて読んでみた。
梅田望夫氏と平野啓一郎氏のお二人で、2度、それぞれが延々と8時間以上にもおよぶ対談のオーラル文庫本・・・勝手にジャンルを決めるな!と言われそうである。活字になるところでかなりの編集や手直しはあったと思うが、SNS(ソーシャルネットワークサービス)などのWeb空間に立ち位置を持つ梅田氏と、『日蝕』、『葬送』、『顔のない裸体たち』などを精力的に執筆している文学界の新星である平野氏の対談は一読に値する。
テクノロジーが人間に変容を迫るでは、ネットの世界の「島宇宙」化について同じような予想をしていらっしゃるが、一方で、自分にとって心地よいことにしか関わり合わなくなるという危惧も議論されている。この対談は、一流を極めた人は立場は異なるものの共通の到達点という(共感できる何か)があるのであろう、という実証の場でもあったようだ。
(つづく)
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