■ 2007年3月18日(日)

 ベトナム(ホーチミンとニャチャン)


 カミさんの誕生日である。
 昨日早朝に自宅を出発し、川越駅西口5:50発の成田行き高速バス、ベトナム航空VN951便を使ってベトナム社会主義共和国ホーチミン市にあるタンソンニャット国際空港に現地時間の14:50に到着した。
 空港に迎えにきてくれたNhi(ニー)さんの案内で、ホーチミン人民委員会庁舎、中央郵便局、聖母マリア教会といった市内の見どころを回ってもらうが、空港から市内に向かう道路はバイクが凄い量で走り回っている。
 車はクラクションを鳴らしながら、その大量のバイクの洪水の中をすれすれのところでかわしながら進む。まるで鯵の大群の中をマグロが一匹泳いでいくような錯覚にとらわれながら、宿泊先のソフィテルプラザに16時頃到着した。

 ロビーでチェックインをしていると奥成隆司さんに富山弁のイントネーションが入った「元気やったけ!」と声をかけられた。10数年ぶりの再会である。
 ホテルのバーで冷たい地ビールで乾杯した後、18階にある屋外プールのカウンターに移動してビールを飲みながら、彼の奥さん、娘さん方の近況やベトナムに赴任してからの苦労話をお聞きした。
 プールサイドで日光浴を楽しむフランス女性についつい目がいってしまう。
 この国は昔はフランスの植民地であった、ベトナム戦争ではアメリカと戦った。これまで行ったアジアの国々とはどこか雰囲気が違う。市内のいたるところにコロニアル風の洒落たカフェが点在する(私的には“アメリカナイズされていない”ところがよい)。

 奥成さんは昨年まではこのホーチミンにいたが、今はハノイに住居を移し、こちらのほうに時々出張にくるとのこと。彼の案内でドンコイ通りのシェラトンホテル近くにあるベトナムレストラン“Tu-Do Liberty Restaurant トゥ・ヨー・リバティ”に行く。バイオリンがバンマスでピアノ、チェロ、ギター(時々ウッドベースも担当)のカルテットの演奏を聴きながらの食事は贅沢そのもの、ベトナムのレストランでは生演奏が当たり前だそうだ。
 スターターがカニと白アスパラのスープ、絶品である。次にベトナム春巻き、まるでオブラートのようなライスペーパでボイルしたブラックタイガーと旬の野菜を包みながら特性のタレでむしゃぶりつく(こんな味あり得ないです、日本で食べるベトナム春巻きはなんなの・・・)。
 フルーティな白ワインをぐびぐび飲りながら食べた“マングローブカニの唐揚げ甘酢あんかけ”、これは奥成さんの特注メニュー、彼は昨年まで6年間ホーチミンにいてこのレストランでこの味を作らせるまで2年間通ったそうだ。
 4人のバンドが“恋人よ”を演奏し始める。この曲も彼のリクエストのようだ。
 中国系、フランス系、アメリカ系ベトナム人、日本人、そして現地の人たち、ここは社会主義共和国でありながら多国籍社会を形成するフランスのようなアジアの国、レストランのお客もその縮図のようなもの。

 ホーチミンの人口は800万人。冒頭で書いたように市内の交通網のほとんどはバイク、車はそのバイクの中を掻き分けて行く。中心部の交差点には交通信号はあるものの、車が停車することは稀で交差点に入ったものが優先、ファーストイン・ファーストアウトのルールでクラクションを鳴らしながら自由に走り回っている。
 日本のような規制はほとんどない。
あるのは社会主義国の政府官僚による統制だそうで、空港から市内に入る道は1年前に道路幅を拡張することが決定され、強制的に二車線分の家々は取り壊されて、もうすでに拡張された道路と歩道の工事が始まっている。このスピード感は日本ではありえない。
 市内の至るところにあるカフェではインターネットが自由に接続できる。
 余談だが、フランスではカフェでお話をする文化がずーっとあったが、ここのところ無言でPCを見る人たちが増えて、これまでにあったカフェ文化が崩れているという。
 ベトナム戦争のときにアメリカ側で戦って終結時に米国・カナダに亡命したベトナム人の二世が豊富な米ドルを所持し、ベトナム語とネイティブな英語を駆使しながらビジネス目的にやってくるため、ベトナム政府はこの投資を無視できなくなっている。

 私事であるが、カミさんは食事の後に立ち寄ったベトナムシルクのお店で、奥成さんのアドバイスを貰いながら、アオザイならぬ上下のツーピースの仕立てを80$で注文し、明日からNha Trangにある“Ana Mandara resort”で5日間過ごした後、再度ホーチミンに戻ってきてから試着し、細部を再調整することにした。
 私はOKEYのサングラスとThe North Faceのリュックをショッピングセンターで、それぞれ10$で買い求めた。なんとなく金銭感覚が合わないが、この国のエネルギーとスピードはすごい。
 ベトナムは癖になりそうである。

 (つづく)

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