■ 2003年6月27日(金)

 武士道(新渡戸稲造)と壬生義士伝の吉村貫一郎


Reference: Dr. Tobin's Interview (May. '03, Business English from NHK radio)
Dr. Tobin: I see. Now some of our listeners work for the same organization for very long time. And sometimes, like for all of us, they get a little bit bored and they get restless. Do you have some suggestions on how our listeners might be able to keep the job fresh, keep motivated, keep excited about their work?
Mr. Pedersen: Yeah, kind of 3 words, you know, Never stop leaning. I think if you can keep leaning through adult education, through books that you read, through travel, through any type of experience that you may bring to your work, I think that it keep it fresh. And I think you'll actually add some more value to the organization if you keep learning.
(See page 20 on the textbook)

 庭にあるシャラ(別名、夏椿)の木の白い花が満開。
 今年は玄関横の花壇に植えてあったジャーマンアイリスも5−6年ぶりに花を咲かせたし、鉢植えにして居間に置いてあったアマリリスも3年ぶりに花を咲かせた。
 Aバイオサイエンス社のM・Yさんから新規コンサルティング案件の内示も頂き、何か新しいことが始まる予感がする。

 午前中に新宿のクライアントを訪問した帰り道で気になる広告があった。
 縦横2m x 3mの大ポスターがずらりと並んでいる。
 1枚目のポスターには「武を誇り」、「勇に憧れ」、「和を望む」と書かれている。
 今年は江戸開府400年の年に当たるらしく、その記念行事の一つらしい。
 このポスターは10月12日(日)から東京都写真美術館で開催される写真展「士(さむらい)、日本のダンディズム」の告知広告なのだ。

 このポスターを横目で見ながら地下道を歩くと右側に本屋さんがあり、その店先で新渡戸稲造の"武士道"(三笠書房)なる文庫本が置かれていた。
 一冊買い求めて早速読んでみた。
 新渡戸稲造はというと五千円札に印刷されていることくらいしか知らなかった私である。

 新渡戸氏は、文久二年(1862)南部藩士新渡戸十次郎の三男として生まれたという。
 南部藩といえば、昨年話題になった浅田次郎の"壬生義士伝"に描かれている吉村貫一郎も南部藩出身である。
 新渡戸稲造は、札幌農学校で学んだ後、アメリカ、ドイツで農政学等を研究して、帰国後は東京帝大教授、東京女子大学学長を歴任された方だ。

 一方の吉村貫一郎は、貧しい生活の中、妻と子供を盛岡に残して脱藩後、自分の得意だった剣の道から新撰組に入隊して、鳥羽伏見の戦いで重傷を負いながら逃げ込んだ大阪の南部藩邸で切腹をしている。

 生き方こそ違うがこの二人に共通点を見出すのは、私だけであろうか?

 新渡戸氏が武士道を書くきっかけは、ベルギーの法学者であるラヴレー氏の家で過ごした時に、宗教の話しをされたことだったという。
 ラヴレー氏が「あなたがたの学校では宗教教育というものがない、とおっしゃるのですか」とこの高名な学者が新渡戸氏にたずねたという。
 新渡戸氏が「ありません」と答えたとき、ラヴレー氏は驚きのあまり突然歩みをとめられ忘れがたい声で「宗教教育がないとは。いったいあなた方はどのように子孫に道徳教育を授けるのですか」と繰り返されたという。

 武士道の序文の中で氏は、その質問に愕然として即答できなかったと述懐されている。
 その後、新渡戸氏は幼いころ学んだ人の倫(みち)たる教訓は、学校で受けたものではなく、氏に善悪の観念をつくりださせたさまざまな要素を分析していくうちに、そのような観念を吹きこんだものは武士道であったことに思いあたったという。

 新渡戸稲造は、この武士道を英語で書いている。

 一方にラフカディオ・ハーン氏とフュー・フレーザー夫人がいて、他方にアーネスト・サトウ氏とチェンバレン教授がいるはざまで、英語で日本のことを書くことは気がひけたという。
 だが、これらの有名な先達よりも氏がただ一つ有利な点は、その人たちが日本の代弁人もしくは弁護人の立場であるのに対して、氏は被告人の立場に立っていることだったという。


 氏の言葉をかりるならば、壬生義士伝の吉村貫一朗もそうであるが、武士道は、一つの無意識的な、あらがうことのできない力として日本国民およびその一人一人を動かしてきた。

 近代日本のもっとも輝かしい先駆者の一人である吉田松陰が死刑前夜にしたためた次の歌は日本国民の偽らざる告白である。

 かくすればかくなるものと知りながら
 やむにやまれぬ大和魂


 系統だって説かれたわけではないが、武士道は戦前までは日本の精神活動の推進力であったし、また現在もそうであると私は信じている。

(つづく)

-P.54-

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